解説
実はこの
『Helleborine』
という曲を作ったのは、担任の先生の一言がきっかけでした。軽いのりで、「卒業の歌でも作っちゃえば」と言われました。きっと、言ったご本人は覚えていないことでしょう。
とにかく私はその言葉を真に受けて、自分が今日まで決して無駄に生きてきた訳ではないという証しを、なんらかの形で残そうと思ったのです。
去年の7月に後輩の
ハンナ
さんにその話しを持ちかけました。
そして二人でキーフレーズを出し合い、最終的には私が横浜線の車内で書き起こしました。
「出会いは別れの始まりだよね」と悲しそうに言った彼女に対して、
「別れは再会の始まりだよ」と答えたことがあります。去年の卒業式のころでした。
2番のサビは、私から
ハンナ
さんへのメッセージでもあります。
また、歌い出しの「悲しい歌はもう歌わないことにしたよ」、
「虚しい詩は二度と書かないことにしたよ」、
これらは紆余曲折の上で現在の詩人としてのスタイルにいたった私自信の体験を象徴したものでもあります。
学生生活17年間、いろんなことがありました。
前半は活動的に過ごし、後半は残念ながら健康に恵まれませんでした。
それこそ小学生のころなんかは、冬でも半そで短パン、友だちと給食のお代わりを競い合い、昼休みには校庭で走ったり自転車に乗ったり、皆勤賞目指して通ってました。
高2のころからは、ちょくちょく保健室のお世話になり、遅刻、早退、欠席がぎりぎり、ひやひやしながらの毎日でした。
高3の秋に、その後の進路を決めかねていた時、「卒業したら自宅療養ってのも悪くないね」という話しになりました。
でも、どういう訳かその後もさらに3年間、学校へ通い続けることになりました。
この、最後の3年がかなり体にこたえ、体調もだいぶ悪くなりました。
2008年1月、学校の先生に宛てた手紙のなかに、一部次のように書いています。
↓
「命より学校を大切にするつもりはないので、もし事態がこれ以上悪くなって最後の二者択一を迫られるとすれば、命を捨てるよりは学校を捨てます。たとえそれが、今まで2年半以上の自分の努力を否定することになるとしても、それはやむを得ないことだという覚悟はしています。はじめからそういう認識で入学し、勉強してきました。今は、どんな春を迎えるのか、まったく予測できません。」
この3年間、退学という「最後の手段」を常に念頭におきつつ、その日その日にできる最善を尽くして、勉強に取り組んできました。その「最後の手段」は、卒業学年の3学期になっても、リアルな選択肢として頭のなかにありました。それでも、周囲からの応援を受け、なんとか卒業できそうです。
まさに、「全身全霊全力疾走疲労困憊過労寸前絶体絶命体力限界空中分解危機一髪」でした。
時々子どものころのことを思い出します。もう一度、心拍数が最高に上がるまで走りまくって遊びたい、なんて思うこともよくあります。自分を憐れみたくなる気持ちと格闘する毎日です。
でも、この劇的な環境の変化のなかで、本当に大切なものが何なのか、分かった気がします。
人間としての価値なんて、成績とか一人の人の見方で決まる訳じゃないってこと。
ずるをして取り繕うより、正直で失敗をした方が、「最善のことはした」という自尊心と人からの信頼が後に残るということ。
この時代、孤独な人がとても多いですが、自分にはすべてを打ち明けられる友人がいます。
それだけでも幸せなことであり、生きる力になると実感しています。
すべてを打ち明けられる友人に出会って思ったことは、すべてを打ち明ける必要などないってことです。
「いろいろあったんだよ」、「いろいろあったんだね」、それで通じ合える信頼関係。揺らぐことのない安心感。
最後の1年で感じたことは、「スランプってあるんだな」ということ。
やる気がない訳じゃない、努力が足りない訳じゃない、それでも、何をやってもうまくいかないことがある。
そんな時は、「今はそういう時期なんだな」って思うしかないってこと。
頑張りすぎて無茶をして失敗もしました。
全力を尽くすことと最善を尽くすことの違い、その境界線で苦しみました。
何がしたいか、何をすべきか、何ができるかがみんな違って、迷ったりもしました。
でも、その悩んだ結果が今の自分なら、それも悪くないなって思えます。
また、自分には信じる道があります。
たとえ酷く侮辱されて自分に自信を失うことがあっても、
自分の歩んでいる道に対する確信が、
次の一歩を踏み出す勇気を与えてくれます。
生きていくことは楽なことではないかもしれない。でも生きていれば幸せなことと必ずめぐり合える。
学生生活を振り返ると、全体的にはいいことより嫌なことの方が多かったけれど、一番大切な確信を一つ持たせてくれたということだけでも、自分は無駄に学校に行っていた訳ではなかったと感じます。
そんな感じで理屈を付けて、嫌な思い出に蓋をして、これから先はパッパラパーな人生を歩んでいきたいと思います。
追記: 3月7日(金):
今日、学友と長い時間語り合いました。彼とは中学1年のころから5年間、同じクラスでした。
「いよいよ卒業だね」
と言われ、
「お世話になった人たちには感謝してるけど、正直、この学校にはあまり良い思い出はないんだ」
と、つい本音がこぼれました。彼と語るうちに、いろんなことを思い出して、だんだんしんみりとしてしまいました。
薬の副作用、自分自身に対するふがいなさ、人からの誤解……。病気そのものもさることながら、それに付随するあらゆる苦痛と闘い、時に闘う意欲さえ失いながら、詩を書くことに自分の居場所を見つけ、生きた心地もしないような思いで、なんとか登校し続けました。
心の傷さえも、いつしか美しい言葉に生まれ変わることを信じて、無駄なものなど何一つなかったなんて自己暗示をかけて、今をしのいでいます。
ある人から、詩を書く暇があったら家事や勉強をしろと言われたことがあります。たしかに、それは正論ですが、私にはそうはできません。書かずには生きていけないからです。
私にとって創作活動は単なる趣味ではなく、生き甲斐であり、苦し過ぎる現実からの避難所であり、自分の居場所であり、死に場所だと思っています。
このことに対する反対意見は、どんな親しい身内の善意からの言葉であっても、拒絶してきました。
幼いころからあまりわがままも言わずに過ごしてきた自分ですが、
自由な時に自由な分だけ詩を書く
というポリシーは、何が何でも固守する心構えです。この点に関して、譲歩することはおそらくないでしょう。
この先どんな人生を歩んでいくのか、正直、自分でも分かりません。(無論、具体的な将来設計が何も無い訳ではありません。)学校に通っている間に専念できなかった、
心身の休養と疾患の治療に重きを置いたライフスタイルのなかで、
精神的、経済的自立をしていく必要があります。
経済的自立に関しては、いつまでにどうしているという、具体的な家族との約束があります。
きっと自分のことだから、うめきながらでも悲鳴を上げながらでも、やってのけることと思います。
将来に対する具体的な計画がないわりには、漠然とした不安も特にありません。
「これまで流れてきたように、これからも時間が流れてく。これまで自分が成長してきたように、これからも成長していく。これまで自分が失ってきたように、これからも衰えていく。ただそれだけのこと。不安を抱く理由など特にない」。
超マイナス思考と超プラス思考が共存する思いで、妥協点を探りながら自分を説得させています。
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